ステージ4Bの父の膵臓癌闘病記と、その後の人生

父の膵臓癌闘病記と思い出や後悔、遺された家族の気持ちを綴ります

8月10日・・・葬式

(これは8月10日に書いた日記です)

今日は葬式だった。本当にまだ実感がない。あの人がほんとに死んだのか?いまだに「○○(自分の名前)!」って呼んできそうである。
部屋にいると「○○、インターネットできないんだけど」とか、夜2階リビングに来て「おお○○居たのか」など。

祖父母の認知症と違い父親は最後まで頭が鮮明で死にたくないと生きようと必死だった。本当に無念だと思う。そして悔しい。
最後に死にたいと言っていたのはもう100%可能性が無くあとは苦しみが続くだけだからだ。
葬儀は家族葬で数人なのにほんとに豪華だった。遺体を見ると一気に泣き出した。
もう死んだほうが楽なのでは?と計算上で実際を見ずに答えていたが、実際見るとそんなことは言えないし悲しくなる。
お見舞いに行ってた時もそうだ。だから意図的に自分はあまり会いたくなかった。。でも頻繁に会いに行った。苦しいけど、会わなければ後悔する。
ほんとにあと1回でもいいから死んだあとのことを話してほしい。葬式はこれでよいのか?最後はどうだったのか。。
今までここまで身近な人が亡くなったことが無いので、人生が本当に寂しいし孤独をさらに感じるし、普通の人生を送れなくなった。
今まであの人が主体となってやっていた葬式。。今もあの人に「全部自分でやって」と言いたくなる。。まだ頼っていたのだ。。
色んなことをまだ教えてもらってないし、これから相談したいこともあったのに。。

一番父親が無念だが、残された家族も喪失感がすごい。
俺にはもう父親が居ないんだ。。頼りたいとき、いつも裏方でやってくれたけど、もうそれも頼れない。。
葬式で悲しかったのは「火葬前の最後の顔と面会」「ナレーションで出会ったころから今までの話をした時」
特にみんなで最後に食べた食事。。あの人が食べたかっただろうな・・・と言うものが沢山入っていて・・・居てもたっても居られなかった。
父親用に1つお弁当も用意したのに・・・父親は食べられないんだ・・・と実感して・・・最後にみんなでそれを分け合って食べた時も辛かった。
何度も天国から見てるのであれば何か合図をしやすいようにしてるのに一向に何も無い。
怒るようなこと、何かコメントしたくなる話などを振っても何も反応がない。。
父親が死んだということが未だに実感がない。長期で旅行で不在にしてるような感じで。。

8月8日・・・父は逝きました。

(8月8日当日に書いた日記です)

 

今日、1年2か月の壮絶な闘病生活を頑張ってきた父親が亡くなった。
AM6時ちょうどに母から起こされ、「お父さん亡くなったって」と。
まさか・・・間に合わなかった。。早すぎるという感情を胸に急いで支度する。
母から「息がおかしいって」と。亡くなったんじゃないの?と聞くがそこら辺はパニックでよく分からず。

 


AM6:20 慌てていたので車で道を間違えたり、スピードも遅く(40km)進み病院に到着。
病室に入るが・・・一歩遅く看護師から「たった今息を引き取りました」と。。。
父の変わり果てた姿・・・半目を開いて口も大きく開けて苦しそうな姿だったが、看護師は「最後は眠るように逝きました」と。

母親に即されまだ温かいときに何十年ぶりかに父親のおでこを触った。。


その後看護師から経緯を聞く。
AM4:00 水が欲しいといわれて水をコップ2杯も飲む。(それが致命傷の可能性はある)
その際に「まだ逝かないのか、なかなか逝かないものだねー」と繰り返してたという。2日前から本当に「早く死にたい」と言っていたらしい。
看護師がずっと付添で「そんなこと言わないで。奥さんが悲しむ」と言ってたそう。
到着して触った時にはまだ温かさもあり、急速に冷たくなっていったことから死後10分以内だったんだと思う。
変わり果てた姿は本当に魂が抜けたような抜け殻のような姿になっていた。
その後ベッドごと葬儀社に移動する。
看護師一同、お辞儀をして見送ってくれた。ほんとうに厳粛な感じだった。
何かある度に「父親(あの人と呼んでいた)はこれを見てなんて思うんだろうな」と。
まさか今日だと思わず週末までもつものと思っていたので、本当に少し後悔はある。もう少し何かしてあげられなかったのか。
もう少し早く到着していれば・・・
最後は誰も見ていないところで苦しんだのか。。何か最後に言いたいことはなかったのか。。
最後に言いたいことや最後に会いたいってことは本人が拒絶していた。こんな姿見られたくない、もう言い残したことはないと。
最後の面会になるかもしれないと、8月4日と5日に病院に行った。
8月4日は父はまだ元気だった。
8月5日は俺と母だけで行ったが、俺はこれが最後だと感じていた。なのでここで父と最期の会話と握手をした。
これまで握手なんて求めない父が握手を求めた。最初の1回目は手を挙げたので握手したいのか・・・と思っていたが、
父はしゃべれなかったのか言いにくかったのか、自分は分からず無視してしまった。
2回目にまた握手を求めたので母が「握手だって」と言ってくれて握手することができた。
母がそう言ってくれなければ本当に自分は後悔だった。
この握手のあと父は諦めたように急速に弱っていった。

 

このあと、時系列はめちゃくちゃになるが、当時のことをアップしていきたい。

延命効果の高い方法

ネットで膵臓癌を連日2時間以上調べているが、今日こんなBlogでの生の声を発見した。

92歳でも元気な癌患者!: 膵臓癌と共に30年生きる

「動注化学療法」で癌を切除せずとも局所的に抗がん剤を注入することで、かなりの効果が実証されているとのこと。

リザーバー研究会|動注化学療法

ただしこれには転移がないか、抗がん剤などで転移を抑えてから(つまり手術ができる状態)が前提である。

 

また、転移した場合の現在最善の方法としては、以下のBlogに記載のある、

フォルフィリノックス FORFILINOX 療法がGEM単体よりも延命効果があることが、

明らかになりつつある。ただし副作用が強いのがデメリットで継続できるかが勝負であろう。

抗がん剤 フォルフィリノックスの副作用1: 膵臓癌と共に30年生きる

 

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ちなみに6月10日(土)、埼玉奥秩父三峰神社にお参り、ご祈願をしてきた。

自分が(金運だが・・・)上昇した実績があるので、今こそ三峰神社の力を借りたいと思い、参拝してきた。

これにより、週明け月曜の最終検査結果が少しでも良い方向に変わることを祈る。。

 

信用できるBlogと情報

膵臓癌 完治 などで検索すると、先進医療、免疫療法や食事療法、漢方など沢山情報が出てきます。

中には弱者を食い物にする悪質なものも多く見受けられます。

時間も限られている膵臓癌末期患者にとっては、許せないです。

 

信用できるBlog(個人的評価です)をまず掲載します。

■ 

stage4b.seesaa.net

  (治療内容が現実的で本当の話の可能性が高いと思う。そして数少ない生存者のうちの一人であり励まされる)

■ 

ameblo.jp

  (27歳という若さで膵臓癌と戦った女性。若いのに2年近くも頑張り、諦めずに治療に全力を尽くしている。)

 

ameblo.jp

  (こちらも若くして45歳で他界してしまったが、2年近く抗がん剤に苦しみながらも頑張って生きた記録。)

 

2017年06月のブログ|ワタクシ膵臓がんになりました

 (もっとも勇気の出るBlogと思います。膵臓癌末期ステージ4bなのに、抗がん剤で3年生きて、ほぼ完治の様相)

父に膵臓癌が発覚。。

8ヶ月間、本Blogを更新しておらず、Blogも書くことが無く放置でした。

しかし、2017年6月2日(金) 永遠に忘れることはないだろう。。

会社帰りに母からのLINEで「父が膵臓癌と診断され、かなり進行している」との連絡だった。

駅のホームでそのLINEを見たとき、時間が止まった。

冷静になって考えると、ものすごい不安と過呼吸が止まらなかった。

だがこの時は最悪の結果になることはまだ予想していなかった。

 

新宿駅から埼玉までの埼京線はいつも寝てあっという間に着くが、

この日ばかりは永遠とも思える長い道のりだった。

 

急いで実家に帰り、詳しく話を聞いた。

丁度父ともリビングでばったり会った。

 

いつもならテンション高く歌ったり話している父だったが、この時は違った。

父から「重要な話があるから」と言われ、リビングで家族会議。

 

「お父さん長くないからお母さんを頼むな」と。

「お母さんこの家に一人になっちゃうから一緒に話し相手になってあげて。この家残した意味もあるし報われる」

 

俺は終始絶句、言葉にならない気持ちで。父からこんな話をされる日が来るなんて。

 

話を聞くと、肝臓にも転移していて、手術ができない状態らしい。

 

 

この2日前実家に帰ったとき父が何らかの会話の端に「もうお父さん心残りないからいつ死んでもいい」と言っていて、びっくりして印象にずっと残っていた。
気を抜いたから急激に悪化したのか。。

 


でも俺はこの時点で「まだ何も分からない、手術できるかもしれないし、1週間色々調べないと分からない」と言って希望を持っていた。
父は「手術できないんだよ。」と諦め。「だから頼むよ、お母さんを一人にしないで」と。
いつもなら夜12時にはお開きになる家族会議はずっと夜中1時まで続いた、父はいつも自分から寝室に行くのに、今日だけは動こうとしない。
ずっと下を向いていた。
そして俺がトイレが我慢できずにトイレに行ったら、何らかの会話をしていた。
重要な話だったんだろう。
でも父は話をしているときは冗談交じりで足首を動かしていて、何らか楽しそうな場面もあった。

 


家族会議は終わり、その後スマホですい臓がんを調べると・・・5年以内の死亡率85%。末期だと死亡率95%以上でほとんどが1年以内で亡くなると。8割が見つかったときには手術できず抗がん剤による延命治療しかない。
絶望した。ようやく現実を悟った気がする、何らかの治療があるはずだと数時間調べたが、まやかしの宗教のようなレベルでしかない。
それから俺も涙が止まらず、もちろん寝れず、過呼吸状態で胸が苦しく、いつもの1分がすごく長く感じるようになった。
自分の父が。。俺を育ててくれた父が・・・なんでこんなことに。
何も手に付かず、居てもたっても居られず誰かに助けを求めたくて、家から15km離れた自分の家に嫁に会いに行った。

 

それから様々なBlogや先進医療、治験データ、癌の勉強、抗がん剤の種類と予後を調べた。

現実はどれも絶望的で直視できるものではないが、闘病記録を作っていこうと思う。

父の生きた証を後世に伝えたい。

それだけである。

 

 

WMPのインターネットラジオが終了!さて・・・

久々にWMPWIndows Media Player) (一般的なPCで入っているWindows標準プレイヤー)で、

インターネットラジオを聞こうと思ったところ、なんか違う表示が・・・。

 

まさかと思って色々探ってみても一向にラジオが聴ける雰囲気にはならず。。

 

ググってみると、同じ問い合わせがMicrosoftのページに掲載されており、

「サービスは終了したのでどんな方法を使ってもラジオは聞けません!」

と冷たい公式回答が。。。

 

(アメリカの)インターネットラジオをかけながら、テキサスの広大なアメリカをドライブしているのを思い浮かべて、休日家でのんびりするのは最高だったんですよね。。

それが終了・・・。

 

でもWMPで終了してもWEBで聞けるだろう!と思ってピンポイントでTOP40系のラジオ局のHPにアクセス。

 

ん・・・

しばらく応答がない。。

数分して、「あなたの国からのアクセスではこのページは開けません」(要訳)と表示が。。

まあ特殊な局だったのだろうと思い、別のTOP40系のWEBサイトへ。

数分して、「あなたの国からのアクセスではこのページは開けません」(要訳)

 

んー運が悪いなーと別のラジオ局へ・・・

 

数分して、「あなたの国からのアクセスではこのページは開けません」(要訳)

 

ここら辺で異変に気付く。

どうやら昔は全世界でラジオが聞けた時代があったみたいだが、

今はどういう理由か、アメリカのラジオはアメリカでしか聞けないことが多いみたい。

 

絶望に打ちひしがれていて、でも何とかアメリカの音楽聞き流しの(トークが入らない)ラジオが聴きたい!

と調べていると、2つの方法にたどりつきました!!

 

はい…前置きが長くなりましたがこれが結論です(*^_^*)

 

 

① お勧め : Radio Tunes

RadioTunes | Enjoy amazing Free Internet Radio stations

 何も登録しないと30分で強制終了しますが、Goodleアカウントがあれば、

クリック一つでログインして時間制限なく聞けます!

 

② 詳しい方に限る : VPNでアメリカのIPアドレスを取得して、アメリカ国内からアクセスしているように思わせる。

・・・なんだか違法?みたいな使い方ですけど、違法かどうかはわかりません。

このVPNソフト、なんとmade in japan かつ筑波大研究所のボランティアみたいなので、ウィルスなどの心配もないですね!

VPN Gate 筑波大学による公開 VPN 中継サーバープロジェクト

 

色んな意味で①がお勧めです!