ステージ4Bの父の膵臓癌闘病記と、その後の人生

父の膵臓癌闘病記と思い出や後悔、遺された家族の気持ちを綴ります

8月8日・・・父は逝きました。

(8月8日当日に書いた日記です)

 

今日、1年2か月の壮絶な闘病生活を頑張ってきた父親が亡くなった。
AM6時ちょうどに母から起こされ、「お父さん亡くなったって」と。
まさか・・・間に合わなかった。。早すぎるという感情を胸に急いで支度する。
母から「息がおかしいって」と。亡くなったんじゃないの?と聞くがそこら辺はパニックでよく分からず。

 


AM6:20 慌てていたので車で道を間違えたり、スピードも遅く(40km)進み病院に到着。
病室に入るが・・・一歩遅く看護師から「たった今息を引き取りました」と。。。
父の変わり果てた姿・・・半目を開いて口も大きく開けて苦しそうな姿だったが、看護師は「最後は眠るように逝きました」と。

母親に即されまだ温かいときに何十年ぶりかに父親のおでこを触った。。


その後看護師から経緯を聞く。
AM4:00 水が欲しいといわれて水をコップ2杯も飲む。(それが致命傷の可能性はある)
その際に「まだ逝かないのか、なかなか逝かないものだねー」と繰り返してたという。2日前から本当に「早く死にたい」と言っていたらしい。
看護師がずっと付添で「そんなこと言わないで。奥さんが悲しむ」と言ってたそう。
到着して触った時にはまだ温かさもあり、急速に冷たくなっていったことから死後10分以内だったんだと思う。
変わり果てた姿は本当に魂が抜けたような抜け殻のような姿になっていた。
その後ベッドごと葬儀社に移動する。
看護師一同、お辞儀をして見送ってくれた。ほんとうに厳粛な感じだった。
何かある度に「父親(あの人と呼んでいた)はこれを見てなんて思うんだろうな」と。
まさか今日だと思わず週末までもつものと思っていたので、本当に少し後悔はある。もう少し何かしてあげられなかったのか。
もう少し早く到着していれば・・・
最後は誰も見ていないところで苦しんだのか。。何か最後に言いたいことはなかったのか。。
最後に言いたいことや最後に会いたいってことは本人が拒絶していた。こんな姿見られたくない、もう言い残したことはないと。
最後の面会になるかもしれないと、8月4日と5日に病院に行った。
8月4日は父はまだ元気だった。
8月5日は俺と母だけで行ったが、俺はこれが最後だと感じていた。なのでここで父と最期の会話と握手をした。
これまで握手なんて求めない父が握手を求めた。最初の1回目は手を挙げたので握手したいのか・・・と思っていたが、
父はしゃべれなかったのか言いにくかったのか、自分は分からず無視してしまった。
2回目にまた握手を求めたので母が「握手だって」と言ってくれて握手することができた。
母がそう言ってくれなければ本当に自分は後悔だった。
この握手のあと父は諦めたように急速に弱っていった。

 

このあと、時系列はめちゃくちゃになるが、当時のことをアップしていきたい。