ステージ4Bの父の膵臓癌闘病記と、その後の人生

父の膵臓癌闘病記と思い出や後悔、遺された家族の気持ちを綴ります

父に膵臓癌が発覚。。

8ヶ月間、本Blogを更新しておらず、Blogも書くことが無く放置でした。

しかし、2017年6月2日(金) 永遠に忘れることはないだろう。。

会社帰りに母からのLINEで「父が膵臓癌と診断され、かなり進行している」との連絡だった。

駅のホームでそのLINEを見たとき、時間が止まった。

冷静になって考えると、ものすごい不安と過呼吸が止まらなかった。

だがこの時は最悪の結果になることはまだ予想していなかった。

 

新宿駅から埼玉までの埼京線はいつも寝てあっという間に着くが、

この日ばかりは永遠とも思える長い道のりだった。

 

急いで実家に帰り、詳しく話を聞いた。

丁度父ともリビングでばったり会った。

 

いつもならテンション高く歌ったり話している父だったが、この時は違った。

父から「重要な話があるから」と言われ、リビングで家族会議。

 

「お父さん長くないからお母さんを頼むな」と。

「お母さんこの家に一人になっちゃうから一緒に話し相手になってあげて。この家残した意味もあるし報われる」

 

俺は終始絶句、言葉にならない気持ちで。父からこんな話をされる日が来るなんて。

 

話を聞くと、肝臓にも転移していて、手術ができない状態らしい。

 

 

この2日前実家に帰ったとき父が何らかの会話の端に「もうお父さん心残りないからいつ死んでもいい」と言っていて、びっくりして印象にずっと残っていた。
気を抜いたから急激に悪化したのか。。

 


でも俺はこの時点で「まだ何も分からない、手術できるかもしれないし、1週間色々調べないと分からない」と言って希望を持っていた。
父は「手術できないんだよ。」と諦め。「だから頼むよ、お母さんを一人にしないで」と。
いつもなら夜12時にはお開きになる家族会議はずっと夜中1時まで続いた、父はいつも自分から寝室に行くのに、今日だけは動こうとしない。
ずっと下を向いていた。
そして俺がトイレが我慢できずにトイレに行ったら、何らかの会話をしていた。
重要な話だったんだろう。
でも父は話をしているときは冗談交じりで足首を動かしていて、何らか楽しそうな場面もあった。

 


家族会議は終わり、その後スマホですい臓がんを調べると・・・5年以内の死亡率85%。末期だと死亡率95%以上でほとんどが1年以内で亡くなると。8割が見つかったときには手術できず抗がん剤による延命治療しかない。
絶望した。ようやく現実を悟った気がする、何らかの治療があるはずだと数時間調べたが、まやかしの宗教のようなレベルでしかない。
それから俺も涙が止まらず、もちろん寝れず、過呼吸状態で胸が苦しく、いつもの1分がすごく長く感じるようになった。
自分の父が。。俺を育ててくれた父が・・・なんでこんなことに。
何も手に付かず、居てもたっても居られず誰かに助けを求めたくて、家から15km離れた自分の家に嫁に会いに行った。

 

それから様々なBlogや先進医療、治験データ、癌の勉強、抗がん剤の種類と予後を調べた。

現実はどれも絶望的で直視できるものではないが、闘病記録を作っていこうと思う。

父の生きた証を後世に伝えたい。

それだけである。