ステージ4Bの父の膵臓癌闘病記と、その後の人生

父の膵臓癌闘病記と思い出や後悔、遺された家族の気持ちを綴ります

癌に効く免疫療法と健康食品

巷では免疫を向上させる色々なサプリや薬、非認可の直輸入のものが紹介されています。

 

未だにこのブログを見て直接非認可の薬の紹介をしてくる方もいます。

 

その方々は悪意はなく、人助けの意味でやっている場合は仕方ありません。

 

ただ・・・私の統計的な視点から言います。

 

ほぼ効果はありません。

効果が実証されたというデータも当てになりません。

食事療法やサプリでは癌の治療はよほどのことがない限りは治癒できません。

 

もちろんすべてを否定している訳ではありませんが、

統計的に効くものは今のところないのです。

 

昨今のオブジーポは体内に直接免疫力を高める薬を投入して非常に高い効果を発揮していますが、

これは直接体内に入れて何度も実証されたのに日本では薬代の関係でなかなか認可が出なかったというものです。

 

(オブジーポの解説抜粋)

体内でがんを攻撃する免疫細胞、T細胞が作り出すPD-1という物質に、オプジーボ®が結合します。これにより、PD-L1とPD-1が結合できなくなり、T細胞は免疫機能を落とすことなくがん細胞に攻撃し、がん細胞の増殖を抑制することができます。つまり、オプジーボは免疫機能にブレーキをかける物質にピンポイントで作用し、T細胞ががん細胞を攻撃する力を高める、いわゆる免疫力を高める薬剤ということになります。

 

 

なぜこんなことを言うかというと、

神頼みや何かにすがりたい気持ちの患者に、詐欺まがいの商売をする人を許せません。

このような悪徳業者はしつこく、人の気持ちを聞くこともせず、一方的な価値観を押し付けるという共通の思想があり、害でしかないのです。

 

このような悪人が駆逐されることを切に願います。

(もちろん本当に信じて売っている方は仕方ありません)

 

ステージ4Bとは

今日以下のYAHOO記事を見ました。

headlines.yahoo.co.jp

 

ここでは乳がんでステージ4Bで骨に転移しても12年生きることができたということが記載されていました。

つまり癌は転移しても致命的な癌でない限りは末期でも長く生きられるということです。

この方はその後去年スキルス胃がんと診断されてしまい、致命的な癌になってしまったそうです。

 

癌の治療法は進歩しながらも、転移や致命的な癌に関してはまだまだ一向に進んでいません。

素人では治療法は分かりませんが、一方でビッグデータや統計を取ったら、

何をどうすればどのくらい生きられるかというデータが出そうですね。。

 

膵臓癌とスキルス胃がんは若い人でもかかる致命的な癌です。

そして治療法はなく、5年生存率が5%を切る・・・

なってしまったら本当に悲しいことしかありません。

 

ただし、その他の癌であればまだ可能性はあるということを証明した記事なので、

致命的な癌でなければ、ステージ4Bで転移してても勇気づけられるのではないでしょうか。

 

癌でなくても10年生きられるかなんて誰にも分かりませんからね。。

 

遺された家族

4ヶ月間ブログの更新が止まっていました。

 

残された遺族にも容赦ない現実が待っており、

生きていかなければならない。

どんな辛い状況でも、短期間で乗り越えていかなければならない、

何ごともなかったかのように普通に働いて・・・

 

 

父の思い出、闘病、そして死。それは今でも何も変わっていません。

父の遺してくれたもの、父の死を無駄にしないよう、残された家族は生きていきます。

父が亡くなったのでこれで終わり・・・ではこの悲劇的な病気について何も分からないままだし、父の無念を考えてもここで終わりたくありません。

 

 

ひとつ確かなことがあります。

 

父の死後、遺された家族は激変しました。

 

母親はうつ病に近く、私はPTSD(診断名は適用障害)と診断され、

不眠の状況が続いています。

 

毎日父の苦しかったであろう気持ち、死への恐怖、死んだら何もなくなる・・・

この世は虚構でできている・・・など考えると眠れません。

 

考えないようにすればよいと思ってても、それができないのです。

 

父が生きたくても生きられなかったのに、自分だけ普通に過ごしてて良いのか。。

 

生きるためとは言いつつも、嫌な気持ちで、普通に仕事しているのが時間の無駄じゃないのか。。

そもそも気持ちを切り替えて仕事で新しく覚えることなどできるはずありません。

 

 

わたくしごとですが、仕事は簡単ではなく頭を120%使い、激務な職場です。

こんな不眠や不安障害のまま続けることなどほぼ不可能です。

こんな状況なのでミスも多発する悪循環に陥ります。

 

 

 

 

父は膵臓癌と診断されたとき、どんな気持ちだったのだろう。

死ぬときは何を思ったのだろう。。

近くに居てほしかったのだろうか。。

最期は寂しいと感じて一人ぼっちで死んでしまったのだろうか。。

 

毎日毎日これを繰り返し考えています。

 

 

今回は思いのままを綴りましたが、

こういう気持ちであることをどうしても書き留めておきたいと思い、投稿しました。

 

次回のブログは膵臓癌に関して為になる記事を投稿します。

 

 

あまり記事を書く気力がない。

(これは現在2018年10月4日の心境です)

 

父親が亡くなってから、いや膵臓癌になってから自分の人生観は変わったし、

家族もみんな人生観が変わったと言っていた。

亡くなってからは、本当にやる気が出ないし、奇跡が起こらないことも分かったし、

無力感と、人生に関する虚無感で、そして何を言っても本当の苦しみは本人や家族にしか分らないこと。

父親はいずれ誰からも生きていた証拠を忘れられてしまうのか。。と。

 

65年間も生きてきて、最後は必死に戦ったのに、この結果は残酷すぎる。

 

父親が本当に死ぬとは思わなかった。今でも実感がない。

ただ2か月も経つと・・・居ないのが普通になりつつあり・・・それが嫌だ。

父親と一緒に見たTVや映画など。。

思い出すだけで辛い。

 

父の死の2か月前から・・・

この日記は2018年6月に書いたものです。

 

2018年6月初旬

3人でリビングで集まって父方の祖父母の命日の話をしていた(命日6月12日)
その時に父親が「俺の命日は8月かな」とぼそっと言った。
何と無くそのあたりになると予想はできるが、本人もそこら辺は認識してるようだ。
抗がん剤が効かなくなって、治療を止める選択に迫られている。
本人も口数が大幅に減って、気力が無くなってるように思える。

 

2018年6月29日

とうとう腹水がたまってるとの診断がされた。
抗がん剤を止めると10日~2週間で亡くなるという新聞記事が多く、急速に進むのかと母親と自分で話していた。
でも父親の場合は進行が遅いのか、6月初旬から抗がん剤をやめているが、1か月近くまだ歩けてほんの少し食べられる状態だ。
父親は「抗がん剤はやめる。静かに逝きたい」という考えになったようで、本当に鬱状態になってしまった。
これまでは闘っていたが、もう選択肢がなく奇跡も起きないことが分かったためだ。。
何かやりたいことや思い出ビデオを見なくてよいかと母親に聞いたが逆効果とのこと。。

 

2018年7月1日

日曜日の夜遅く、父親がずっと下血と吐血をしていたことを本人が打ち明けた。

そしてそれが止まらなくなったことから、
気分が悪くなり救急車を呼ぶことになった。一歩遅かったらアウトだった。
初めての急変で本人も「こんなに早くなるとは思わなかった」と。
このときはW杯の試合中で忘れもしない。ほんとにこれでお別れかと思った。
次の日会社を休んだ。

8月10日・・・葬式

(これは8月10日に書いた日記です)

今日は葬式だった。本当にまだ実感がない。あの人がほんとに死んだのか?いまだに「○○(自分の名前)!」って呼んできそうである。
部屋にいると「○○、インターネットできないんだけど」とか、夜2階リビングに来て「おお○○居たのか」など。

祖父母の認知症と違い父親は最後まで頭が鮮明で死にたくないと生きようと必死だった。本当に無念だと思う。そして悔しい。
最後に死にたいと言っていたのはもう100%可能性が無くあとは苦しみが続くだけだからだ。
葬儀は家族葬で数人なのにほんとに豪華だった。遺体を見ると一気に泣き出した。
もう死んだほうが楽なのでは?と計算上で実際を見ずに答えていたが、実際見るとそんなことは言えないし悲しくなる。
お見舞いに行ってた時もそうだ。だから意図的に自分はあまり会いたくなかった。。でも頻繁に会いに行った。苦しいけど、会わなければ後悔する。
ほんとにあと1回でもいいから死んだあとのことを話してほしい。葬式はこれでよいのか?最後はどうだったのか。。
今までここまで身近な人が亡くなったことが無いので、人生が本当に寂しいし孤独をさらに感じるし、普通の人生を送れなくなった。
今まであの人が主体となってやっていた葬式。。今もあの人に「全部自分でやって」と言いたくなる。。まだ頼っていたのだ。。
色んなことをまだ教えてもらってないし、これから相談したいこともあったのに。。

一番父親が無念だが、残された家族も喪失感がすごい。
俺にはもう父親が居ないんだ。。頼りたいとき、いつも裏方でやってくれたけど、もうそれも頼れない。。
葬式で悲しかったのは「火葬前の最後の顔と面会」「ナレーションで出会ったころから今までの話をした時」
特にみんなで最後に食べた食事。。あの人が食べたかっただろうな・・・と言うものが沢山入っていて・・・居てもたっても居られなかった。
父親用に1つお弁当も用意したのに・・・父親は食べられないんだ・・・と実感して・・・最後にみんなでそれを分け合って食べた時も辛かった。
何度も天国から見てるのであれば何か合図をしやすいようにしてるのに一向に何も無い。
怒るようなこと、何かコメントしたくなる話などを振っても何も反応がない。。
父親が死んだということが未だに実感がない。長期で旅行で不在にしてるような感じで。。

8月8日・・・父は逝きました。

(8月8日当日に書いた日記です)

今日、1年2か月の壮絶な闘病生活を頑張ってきた父親が亡くなった。
AM6時ちょうどに母から起こされ、「お父さん亡くなったって」と。
まさか・・・間に合わなかった。。早すぎるという感情を胸に急いで支度する。
母から「息がおかしいって」と。亡くなったんじゃないの?と聞くがそこら辺はパニックでよく分からず。


AM6:20 慌てていたので車で道を間違えたり、スピードも遅く(40km)進み病院に到着。
病室に入るが・・・一歩遅く看護師から「たった今息を引き取りました」と。。。
父の変わり果てた姿・・・半目を開いて口も大きく開けて苦しそうな姿だったが、看護師は「最後は眠るように逝きました」と。

母親に即されまだ温かいときに何十年ぶりかに父親のおでこを触った。。


その後看護師から経緯を聞く。
AM4:00 水が欲しいといわれて水をコップ2杯も飲む。(それが致命傷?)
その際に「まだ逝かないのか、なかなか逝かないものだねー」と繰り返してたという。2日前から本当に「早く死にたい」と言っていたらしい。
看護師がずっと付添で「そんなこと言わないで。奥さんが悲しむ」と言ってたそう。
到着して触った時にはまだ温かさもあり、急速に冷たくなっていったことから死後10分以内だったんだと思う。
変わり果てた姿は本当に魂が抜けたような抜け殻のような姿になっていた。
その後ベッドごと葬儀社に移動する。
看護師一同、お辞儀をして見送ってくれた。ほんとうに厳粛な感じだった。
何かある度に「父親(あの人と呼んでいた)はこれを見てなんて思うんだろうな」と。
まさか今日だと思わず週末までもつものと思っていたので、本当に少し後悔はある。もう少し何かしてあげられなかったのか。
もう少し早く到着していれば・・・
最後は誰も見ていないところで苦しんだのか。。何か最後に言いたいことはなかったのか。。
最後に言いたいことや最後に会いたいってことは本人が拒絶していた。こんな姿見られたくない、もう言い残したことはないと。
最後の面会になるかもしれないと、8月4日と5日に病院に行った。
8月4日は父はまだ元気だった。
8月5日は俺と母だけで行ったが、俺はこれが最後だと感じていた。なのでここで父と最期の会話と握手をした。
これまで握手なんて求めない父が握手を求めた。最初の1回目は手を挙げたので握手したいのか・・・と思っていたが、
父はしゃべれなかったのか言いにくかったのか、自分は分からず無視してしまった。
2回目にまた握手を求めたので母が「握手だって」と言ってくれて握手することができた。
母がそう言ってくれなければ本当に自分は後悔だった。
この握手のあと父は諦めたように急速に弱っていった。

 

このあと、時系列はめちゃくちゃになるが、当時のことをアップしていきたい。